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韓国俳優キム・ミョンミンに関するインタビューや記事の日本語翻訳ライブラリー
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「規定できない作家になりたい」チョン・セラン #韓国文学

チョンセラン

リペウニムは、깜깜무소식 カmカmムソシギなので(まったく情報がない)
訳すものもなく・・・・寂しいわ。

ということだからではありませんが
韓国文学について記事を書いてみます。

韓国文学ブームが起きて、読まれた方も多いのではないかと思いますが
今読んでいる(翻訳本で^^;;)
チョン・セランさんの「フィフティ ピープル」
50人の主人公が出てくる、小さい話を集めた作品です。
最初は短編がいくつも並んでいるか、と思ったのですが
これがすべて、同じ地方の総合病院で起きたことなんですね。
ストーリーごとに人間関係が絡まっていて、絶妙に面白いです。

ということでチョン・セランさんの紹介記事を訳してみました。
長いです。
そんでもって記者さんが文学系だからか、やたらと言い回しが難しく
なに言いたいのかよ~わからん、というところもあり。
堅苦しいのでアレですけど。
ま、話題ということでひとつ。

ネトフリでドラマ化される、という「保健教師アン・ウンヨン」。エクソシストが出てくるらしく
楽しみだ~☆

「若い作家列伝(3)」本格文学・SF・ファンタジー縦横無尽に行き来する、
小説家チョン・セラン"韓国文学はあまりにも狭い。 私は規定できない作家になりたい。

2010年ファンタジー小説でデビュー、創批長編賞されながら活動半径拡大し
作品性はもう重量級... "保健教師アン·ウンヨン"はネットフリックスドラマに

小説家のチョン·セランは多様な文学的試みで注目されている。
- 韓国の作家はどうやって誕生するのか。 原石のような才能はどんな過程を経て,誰をも貪る宝石に鍛えられるのか。 84年生小説家チョン・セランの、作家としての立身過程はそんな疑問に対する一つの例示答案のようだ。

数回,ツイストとターンを経由して漸進的に知名度と力量を広げていった過程だったはずだが,その過程は新しくはない。だからと言ってその中に潜んだ作家の涙と熱望、ときめきと誇りを、手に取るようにじっくりと観察できるものではない。

こうも言ってみよう。 21世紀初の2010年代のチョン・セランの小説の一定した成功はどのようにジャンル文学作家がジャンル文学に排他的な中央文壇('中央'と'文壇'という表現がそれほど気に入ったわけでも、具体的に触れていく物理的実体であることでもないが、文学分野のある中心、重力を表現するのにこれだけ適当な用語もない)の各種のハードルを越えて文学の市民権を獲得しているかを示してくれていると。 後日,文学史家がそのような点を記録することになるかも知れないと。




長いので続きは下に。


事実、長かった。 8年前,ジャンル文学作家として静かに始まったチョン・セランが結局,本格文学("本格"という表現も曖昧だが使った)でも認められる重量級の人気作家になったという話だ。

チョン・セランはどうやってそんなことを成し遂げられたのだろうか。 それがそんなにすごいことなのか。 大した事ではないといえる。 しかし,文壇文学,本格文学という地上の城郭の下の地下には(該当される方々にこのような表現が気に障ったなら,許してほしい)数多くの"在野の武侠"の達人らが幅を利かせている。 彼らが地表上に上がってくることは昔から極めてまれだった。 SF作家の場合,徹底して身分を隠しているデュナ,誰よりも活発に活動するペ·ミョンフン,チョン·ソヨンなどが思い浮かぶが,どうもジャンル文学の辺りに留まっている感じだ。 現在まで拡がりは見えてこない。

チョン·セランは記者とのインタビューで"多分に実用的な目的で文壇文学賞に挑戦した"と明らかにした。 活動半径,認知度を広くして引き上げたかったという話だ。 挑戦はもちろん成功だった。 第7回創批長編小説賞の受賞作に選定され、2014年[これくらい近くに]を出版することができた。 この作品以後,彼女を眺める視線が変わってきている。 2015年日本国際交流基金が用意した'韓日次世代、文化人対談'の最初のランナーに選定され、日本の人気作家朝井リョウと対談するほどだった。 物好きの無駄口とも言えるが,パク·ミンギュ,キム·ジュンヒョクなどと系統が違っても,大衆性を共有する先輩よりも早かった。 それだけ韓国も日本も新しい才能に切羽詰ったという意味だろうか。

ところで[これくらい近くに]はチョン・セランのこの前の二長編(2011年[八重歯が見たい]、2012年、地球にはハナだけ])のようにファンタジー小説ではない。文学出版の"名家創批"という名に相応しい本格文学作品だ。 この部分が,韓国文壇の変わらぬ限界,作家チョン·セランの躍動性,韓国小説の近未来をあまねく眺めることのできる丘の上のようなところだと思う。 そうだとすれば,チョン・セランは果たして誰なのか,彼女の小説はどのような色なのか,彼女の今の作業にどのような意味を与えるのか,順を追ってみたい。

"民音社に行ったのが人生最大の偶然"

▎チョン・セランの作品ジャンルは本格文学とSF·ファンタジーを行き来する。 最近は,ネットフリックスドラマとしても制作されている。
多くの他の作家のように,チョン・セランも元々小説家を夢見たわけではなかった。 経営学部を出ておそらく銀行に勤めたチョン·セランの父親は,娘も似たような過程を踏むことを希望したという。 しかし,国語教師だった母方の祖父が読書を奨励し,物語を書いてみるように勧めた。

結果的には曖昧な歴史科目(歴史教育)を大学専攻に選択したが,課題物を提出するたびに,教授先生たちは"君の文章は潤いがある、文学のほうを..."との意見を述べたという。 複数専攻科目として国文学を選択する。

このようなエピソードの背景には,やはり幼いころからの幅広い読書がある。 チョン・セランは"多様な本を読んだ。 大きくなってからは全く関心分野ではなかった本も読んだ。 SFの場合,大部分の作品を読んだわけではないが,系譜に従って主要作品は読んだ"と述べた。 また"ものすごく感受性が敏感だった時期に'ターミネーター''ロード·オブ·ザ·リング'などの映画を一所懸命観ており,'風の国'のようなゲームにはまっていた"と述べた。

このような文化素養が"境界線の作家"と自他ともに認める今のチョン・セランを作ったはずだ。 ジャンル文学,本格文学の間を行き交うチョン・セランのことだ。

チョン·セランは大学卒業後,出版社の編集者になった。 好きな童話一つ二つ書いたあと一生じっくり本を作る計画だった。 それで,子供の本の出版社"ピリョンソ"に志願して合格したが,出版社内部の事情で隣の民音社に"席が空いたので働いてみるか"という提案を受けた。 民音社で本を作ったが,今は消え去った文芸季刊誌'世界の文学'チームに配属され,当時発表されたばかりの新作を仕方なく読むことになった。 チョン·セランは"生まれたばかりの若い作家たちの短編小説を編集者の立場で読み,大きな刺激を受けた"と述べた。 "私も書いてみようか"という気がした。

ところが,作家登壇への道は容易ではなかった。 ファンタジー小説を選んでくれる登壇媒体はなかった。 [これくらい近くに]に掲載されたソ・ユミ小説家のチョン・セランとのインタビューを見れば、なんと九回も最終審査に上がったと言う。 その登壇賞の賞金を全て合わせると、2億5000万ウォンもなったと。

チョン·セランは自分の小説のように縁のない足取りで,今は廃刊になったジャンル文学専門雑誌"ファンタスティック"の扉を叩く。 "半分は人間,半分は夢魔(夢魔,ヴァンパイアの原型で悪夢に出てくる)のイラストレーターが犯罪者を捕まえた話"の短編"ドリームドリームドリーム"で,ついに作家になる。 2010年のことだ。

以後は前に紹介したとおりだ 長編二冊を相次いで出版したが、寒々しかった。 創批小説賞に続き、2016年に長編[フィフティーピープル]で、翌年、韓国日報文学賞を受賞し、中央の文壇に確かな痕跡を残す。 ところが"フィフティ·ピープル"も本格文学だ。 チョン・セランが楽しむファンタジーやSFの要素はない。

"非暴力,正統な甘さ,ほろ苦いロマン“

▎チョン・セランの作品 時計回りに、[地球にハナだけ](2012)[これくらい近くに](2014)[ジェイン、ジェウク、ジェフン](2014)[保健教師アン・ウンヨン](2015)[フィフティー・ピープル(2016)[屋上で会いましょう(2018)。
チョン・セランは昨年11月に出版した初の小説集[屋上で会いましょう(この作品集をはじめ、[これくらい近くに][フィフティー・ピープル]がすべて創批で出版された。 'チョン・セランは創批作家'という感じがするほどだ。 創批がそれほど素早く興行コードの変化を読んだと言うことだろう。 短編小説集を縛る長編小説を書くのではなく、長編で短編に逆走したという点もチョン・セランの特異な点だ)がインタビューをした2月8日現在、"2万部が印刷された状態"と明らかにした。 今まで自分の最高販売記録は[フィフティー・ピープルの2万2000部だった。 はるかに早い速度だ。 [フィフティピープル]を飛び越えそうだという。 これが今の"チョン·セランの市場"の成績表だ。

"人生で最も大きな偶然はどんなことだったか"と問うと,"ピリョンソではなく民音社に就職できたこと"と答えた。 偶然は作家を作る。

では,チョン・セランの世界はどんな世界? "非暴力,正統な甘さ,ほろ苦いロマン"。 強引のようにみえるが,チョン・セランの造語法を真似した。 2012年二番目の長編小説[地球でハナだけ]。 'ハナ'は小説の女主人公だ。 身体成分の40%が鉱物なので、数万年を生きるだけでなく、石のように愛が変わらない未知の宇宙人とハナの愛の物語だ。 "ハナだけ"を連吟して読むと"一人だけ"になるからそれだけ宇宙人の愛が真正性があることを展示するための一種の言葉遊び。 ところで,小説の性格が次のような表現に要約され,本の表紙に印刷されている。 "環境にやさしいSFラブロマン"。

出版社から"客寄せ"用として貼られたと思った。 聞いてみたら自分が作ったと。 女性主人公のハナは小説でリサイクル専門家だ。 依頼を受け、着なかったりした服を見事にリサイクルしてくれる。 だから"エコ"。 宇宙人との恋物語"SFラブ"までは通過。 ロマンは?なぜかラブで終わったらとても短くて"という拍子まで合わせた見出しだ。

"屋上でお会いしましょう"が一番最近出た小説だが,一番最近の作品を集めたのではない。 全体9本の短編の中で古くは登壇した2010年に発表した作品もある。 しかし本の出版のために苦心しながら最近まで推敲した作品であるはずだから'チョン・セランワールド'の現在を一瞥するのに不足はないだろう。

この作品集のうち、読後感の強烈さを基準に選び出すとすれば、表題作である'屋上で会いましょう'、また'永遠に77サイズ'や'ハッピークッキー イヤー(耳)'のような作品を挙げておきたい。 いずれもファンタジー作品だ。 チョン・セランはやはりファンタジーを書く時,一番調子が出るようだ。

'ハッピー·クッキー·イヤー'はイスラム国家出身病院実習生イスマイルと韓国人ガールフレンドのぴりっとしたラブストーリー その上,ハッピーエンドだ。 ところが小説の話し手が"イスマイル"だ。 人種差別を根っこから遮断したら,いわゆる"政治的に正しい小説(PoliticalCorrectness)"だ。 しかも,ガールフレンドはセックスをする時,クライマックスに達するとイスマイルの耳を噛む。 そこで終わらずにかんで食べる。 イスマイルは実習の現場事故で耳を失うが,切れたところから次々と新しい肉が草のように生える症状が現われたところだった。 新品の味は変わり続ける。 主に菓子の味だ。 愛する対象の身体を摂取するカンニバリズムは,いかなる脈絡でも変に感じられる。 だから大雑把にひっくるめて"甘い"と言おう。 当然,タイトルの"イヤー"は"year"ではなく,耳を意味する"ear"だ。

[フィフティー・ピープル]はソウルから二時間離れた地方の総合病院を背景にタイトルのように50人(正確には51人)のゴマ粒のようなストーリーを羅列した作品である。関係のないように思えた人々が病院を中心に歯車のように絡み合い,この時代の風景となる巨大な絵を提示する。

その中で'イ・ギユン'は病院の救急室レジデント1年目のイ・ギユンの夜間勤務のエピソードを紹介する作品だが、56回ナイフに刺された男、首が270度程度曲がった10代の少女が応急室に運ばれてくる。 この少女が裏に出る作品"チョ·ヤンソン"でスンヒと判明する。 チョ·ヤンソンはスンヒの母で,作品'チョ·ヤンソン'はスンヒの惨劇を息詰まるように描いている。

チョン·セランは"これまでホラー映画を見て無神経になったせいか,敢えて見せなくても良い暴力の場面を'チョ・ヤンソン'で刺激的に見せたようだ。 "やや後悔している"と言った。また"障害者協会でこんな言葉を使わないでくださいと言えば,使わないのが正解で,外国移住民がこうした言葉を使わないでと言えば,使わないほうがいいようだ。 そんな点を若い読者が望むようで私も同意するので注意する部分だ"と述べた。

"規定できない作家になりたい"

▎チョン・セランは韓国文学のジャンルの境界線を崩す作家になることを願う。
記者の文学観が古いのか。過度に道徳本のような小説は,むしろ問題があるのではないか。

"文学の幅が狭くなると思えるだろうが,私はルールのあるゲームの方が面白いと思っている。 政治的に正しくても,文学はいくらでも面白くなる,そんなことに気を使って見せたい"。

チョン・セランはこういった。ひょっとしたらこれからの文学はある時代精神と緊密に呼吸しながら変わっていくことだろう。 かつて経験したことのないことだとしてもだ。 そういえばチョン・セランとは2016年文壇内の性的暴行への暴露が続いた時、文芸誌の座談会に参加したことがある。 作家になる前,出版社の編集者の身分である時,"業務をきちんとこなせないほど不快な経験が多かった"と明らかにしていた。

チョン·セラン小説は文学内部ほど文学の外でよく呼び出される。 映画,ドラマ,ゲーム業界で"一緒に作業しよう"という要請が多いという。 まさにエクソシストが出てくる2015年のファンタジー小説[保健教師アン・ウンヨン]がネットフリックスドラマで作られている。 役者チョン·ユミが出演し,イ・ギョンミ監督が演出をする。 チョン・セランも参加することにした。

ジャンルと本格文学,他の芸術ジャンルを行き来しながら作業した作家はあまりいなかったようだ。

"私は規定できない作家になりたい。 韓国文学が文学と定義する領域は,あまりにも狭く感じられる。 私のように色の違う作家がその境界線を取り壊したり広げたりすることができると思う。 私のような作家が多くなればいいが。もちろん私が韓国文学の真ん中に位置できるとは思わない。 しかし,警戒でできることは確かにある。 そんな役割が私の役割だと思う。 たとえば"保健教師アン·ウンヨン"のような作品が民音社"今日の若い作家"シリーズにあるのとないのでは大きな違いがある。

どんな面でそうなのか。
"私の小説が含まれることでシリーズ全体の幅が広がる。"

そのような使命感があまりにも徹すると,考えが重くなるのではないか。
"私は書くとき楽しいから小説を書く。 私の小説に冗談が多いのではないか。重くならないようだ"

--韓国の文壇が変わらなければならない点があれば...。
"依然として権威的で保守的な部分がある。 特定紙面でデビューした後,正確なステップを踏まない作家たちが生き残るのは容易ではない。 登壇して経歴の初めに小説集を出し,ある賞をもらってから長編を書き,段階別規則のようなものがあるが,それを満たす作家は少数でしかない。 そうなると同じ色の作家達だけが生まれ続けるしかないのでは....”

従来の慣性と違う新しい試みが文学史的にすべて立派ではなかった。 しかし,少なくとも意味はあった"と記録される。 チョン・セランのような作家によって韓国文学はある変曲点を通っているのではないだろうか。


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