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항아리 hangari はんあり

韓国俳優キム・ミョンミンに関するインタビューや記事の日本語翻訳ライブラリー
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베바 ベートーベン・ウィルス

Singles January 2009 キム・ミョンミン ウィルス☆翻訳①



れもまた前から訳したかった珠玉のインタビューです。
当初Singlesのサイトに記事が上がっていたので読んだ方もいらっしゃると思いますが・・・


ふぅ~っ。読み応え、訳し甲斐のある記事ですねえ。ホントに。
確かベートーベンの撮影が終わってすぐにプロバンスに旅立ったって聞いてますから
この時のミョンたんはほぼイコール カンマエだったわけで
そういう意味でも面白いです

1週間ず~っと一緒だった記者さん、完全にカンマエ=キム・ミョンミンのウィルスに
やられちゃってますね。
本人自ら「致命的」だって白状してますし・・
でちょっと気になったんですが、
内容が「白い巨塔」のSinglesインタビューと重なる表現があって、記者さんの名前を見たら
まあ、なんと同じ方でした。

それにしてもミョンたん、ニース空港に降りた時、
「私たちどこかでお会いしてましたっけ?」って
これ完全にジョークだったんですね
(でもインタビューの最初に、記者との初めての対面・・・とありますね。
記者さん、編集者、2人いたのかなあ・・・ちょっとわかりません(^^ゞ)



いやはや、ミョンたんかっちょいいっす☆


長いので2回に分けてアップしたいと思います。

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김명민 바이러스
キム・ミョンミン ウィルス

とげとげしくて、口汚く、傲慢な毒舌家、カンマエ。
強いが弱い男、大人であると同時に子供のような男。
殺したいくらい憎いが愛さずにはいられない男、
現実の世界に存在しないような男、カンマエを
キム・ミョンミンではない、誰ができたというのか。
しかし知っているか。キム・ミョンミン、彼はカンマエよりも
何百倍も面白くて、強くて、中身の詰まった男だ。


Written by Yeo Ha Yeon
Photographed by Kim Jae Won

キム・ミョンミンはぴったり合った皮のジャケット、Berlutiのカバンに靴まで揃えて履き、空港に現れた。長時間フライトのため帽子をすっぽりかぶり気楽なスウェットを着て来た普通のスターたちとはまったく違った姿だった。
彼は記者と初めての対面だということを意識したのだ。

ニース空港に降りた後、彼が声をかけた。「私たち、以前お会いしたことありましたか?」声優のように低く共鳴する彼の声を聞くと懐かしい気持ちにくすっと笑いがこぼれた。カンマエの声としゃべり方だった。<白い巨塔>のチャン・ジュニョクを演じる時はチャン・ジュニョクとまったく同じで驚いたのだが、今は完全にカンマエスタイルだ。少しずつトーンが変わっていったが、それはすべてキム・ミョンミンの中から出て来たものだ。切らないままのヘアスタイルも、揺れないまなざしも、口元がぴくっとする笑みもまだカンマエのものだ。
ひょっとすると、キム・ミョンミンがカンマエから抜け出せないのではなく、私たちがカンマエから抜け出せないのかもしれない。

ドラマ<ベートーベン・ウィルス>は新しい廃人を誕生させた。クラシックを素材にしたことが興味深かったりもするが、ベバ ドラマ全体に魂を吹き込んだのはカンマエ役にキャスティングされたキム・ミョンミンの功だ。人々はドラマを見てカンマエという見たことのない興味津津の怪物に中毒になり始めた。ベートーベン・ウィルスではない、カンマエウィルスはかなり致命的だった。

「おまえたちは楽器だ。私はオーケストラという楽器を演奏するもので、おまえたちはその付属品だ。」「おばさんのような人を世間の人たちはなんというか知っていますか?救済不能、やっかいもの、足手まとい、たくさん呼び方がありますが、その中でもこのように呼んであげたいです。クソの塊!」
時と場所を選ばず、このような毒舌を吐き出し、配慮心などというものは見当たらず、実力のない人は足の爪ほどにも思わない傲慢なマエストロ。カンマエは普通のドラマで良く見た悪い男の魅力を発散することでもなくその上イケメンでも若くもない。偏屈な性格な上にとげとげしく、クールでもなく、たまにこっけいな上に憎たらしく、子供じみたことまでした。典型的なのけ者の姿だ。
それでも彼には不思議な中毒性があった。殺したいほど憎くて、関わりたくないのに彼の毒舌がしょっちゅう耳について離れず“見ていろ!自慢できるぐらいに成功してやる”という復讐心を燃やさせたため、いつの間にかこの悪い男を愛するようになるのだ。マゾヒストではないのに前に立つだけでも心蔵が縮こまるようになって周りの人を皆バカにする不思議な男をなぜ人はこれほど愛するようになるのか。
 カンマエはパワフルな実力者だ。しかし同時に憐憫の情を呼び覚ます。プライドを除けば屍同然で、芯の強い40男の内に隠れた弱さ、寂しい傷と劣等感は女性達の母性本能をくすぐった。“トントンオリ(クソの塊)、ボケ老人、難聴”人々を傷つけるだけの言葉を平然とチクチク吐くが、彼は“トントンオリ(クソの塊)、ボケ老人、難聴”らの面倒を見た。彼は出来の悪い子供を甘やかす母親ではなく、出来の悪いやつは断崖から突き落としさらに強く育てる父親の姿に近かった。独善的だが寂しい父親の後ろ姿に似たカンマエはいじらしかった。 
 強くて弱い男、大人であると同時に子供のような男、殺したいほど憎いが愛さずにはいられない男、作家たちの頭の中で創られた独特なキャラクターに熱い心蔵、繊細な感情とよどみない毒舌を吐きだす特有のしゃべり方、人をにらみつけるキラッと光る目つき、こっけいで巧妙な笑みなど、ディテールを加えたにはキム・ミョンミンという俳優だ。彼が呼吸を吹き込むや、漫画の中の存在のようなカンマエというキャラクターは我々の前に飛び出してきて、生きている生命体になった。
 <不滅の李舜臣>の李舜臣、<白い巨塔>の医師チャン・ジュニョク、<ベートーベン・ウィルス>のマエストロ カンマエ。キム・ミョンミンが演じる彼らは誰かの夫、父、恋人ではなく、もの寂しい一人の人間として存在した。絶世の美男でもない30代中盤の俳優が成し遂げた成果は10余年という歳月をきちんきちんと積み重ねた内功(身体の中の気を操る技)があったから可能だったのだ。演技に臨む誠実な姿勢はすでに広く知られているはずだ。しかしキム・ミョンミンという俳優が鎧を着ているがっちりした外皮の中に隠れた中身が気になった。現場では感情を逃さないようにし、食事もとらず、台本を手から離さないという彼の完璧主義者的な姿ではなく、服をはだけて、居眠りもし、冗談も言いながらリラックスした彼の姿が気になった。それでキム・ミョンミンに1週間のプロバンス旅行を提案した。


再び<ベートーベン・ウィルス>とカンマエについて語る。

<ベートーベン・ウィルス>(以下ベバ)がこのように成功すると予想していたか?
視聴率がこんなに高いというのは予想できなかった。でも良いドラマになるという予想はあった。

視聴率はなぜ予想できなかったのか。
視聴率を予想してドラマをやらない。それは俳優がだめになる近道だ。興行だけを追いかければ三流だけが集まるようになる。クォリティに従って行けばハイクォリティな人々だけ集まるようになる。私が作品を選ぶ時はいつも基準になるのはクォリティだ。興行とクォリティは大きく異なる問題だ。興行を追えばクォリティが及ばない。私はこのドラマは視聴率が5~10%だったとしても人々の心に残る作品になったら良いと思った。

クラシックの素材にしたドラマなので最初は韓国版<のだめカンタービレ>という話もあった。
<のだめカンタービレ>ドラマを楽しく見た。でもこの二つは全く違うドラマだ。正直、<白い巨塔>のドラマをやる時は原作を意識しないわけにはいかなかった。日本のドラマに出た唐沢寿明の演技がしょっちゅう浮かぶので演じるのが辛かった。日本の小説が原作だったし、日本ですでに創られたドラマのキャラクターとチャン・ジュニョクのキャラクターはほとんど似ていたので。ベバは1,2,3回までは<のだめ>と似ているという話を少し聞いたが、二つは完全に違う。ただ素材のために、<のだめ>と似ているドラマとして分類されるのは嫌だ。

ベバはキャラクタードラマの成功を見せてくれたドラマだ。キャラクター一人ひとりが皆生きている。最初に台本を見た時、カンマエをどのように解釈したか?最初にキム・ミョンミンが考えたカンマエと作品の中で描かれたカンマエは同じか?

最初に考えて行った通りだ。正直、キャラクターが変わるのではない。状況が変わるのであって。最初にシノプシスを読んでキャラクターを把握しながらそこからはずれないように最大限一貫性を持って行く。撮影しながら与件が変わったり、台本が変わるために人物に変化が生じることは我慢できない。キャラクターに納得が行かなければ演じるのが辛い。だから初盤に把握したキャラクターをそのまま生かして行く主義だ。ドラマの中間で若干の揺れがあった。カンマエはこうではないのに、なぜこうしなければならないのか・・そのような時は少し辛かった。

カンマエは中毒性が強いキャラクターだ。こんな人がいるのか?運悪くある瞬間、感情移入をしてしまって、とどのつまりカンマエのとりこになる。
人は誰にでも二面が存在する。カンマエは二分法的性格を持っている。これでなければあれ、あれでなければこれ、ある意味単純だ。人が見るには単純だが、内面は複雑だ。人々にはその複雑さを絶対に見せないだけだ。人々に傷をたくさん与えるだけ本人も傷をたくさん負う。

最初はカンマエの演技がすごく不慣れだった。声優のように作為的に話すのが聞き慣れなかったし、韓国ドラマではなかなか見られないキャラクターではないか。

私はカンマエが韓国の人ではないと考えた。韓国で生まれて韓国の名前を持っているが、韓国人の姿でなければいいとすごく思った。ベートーベンが精神的な支柱でベートーベンを常に思い、自分がベートーベンであるかのように錯覚しながら古典音楽をあるがままに演奏して指揮する人。ある意味ベートーベンが憑依した人。死んだベートーベンと何か霊感を持って交流しているかもしれないが、ベートーベンのまた違う姿を見せたかったのが私の目標だった。保守的でくそまじめな考え方や行動に制約を受けたくなかった。外国映画を見ると彼らが話す時、彼らだけの話し方と語法がある。そのようなものからたくさんのヒントを得た。もちろん彼らの文化と我々の文化は違うので、うまく受け入れられないかもしれない。映画<不滅の恋人>に出たゲイリー・オールドマンを見れば、音楽家の頑固さと精神が見える。その国の人々特有の話し方と身ぶりでする時でも、(その感情が)とても良く伝わってくる。それを韓国に持ってきてうまく伝わるだろうか。表現がオーバーで毒舌を吐くのは音楽家の特性だ。子供の頃から天才と認められた彼らは価値観や世界観がただひたすら音楽と自分自身に傾いている。そうしてみると本当に非妥協的であり我が強い。天才であればあるほどそのようなものが強くなる。実力至上主義の社会のために実力において不足だと思えば情け容赦なく毒舌を浴びせる。なぜ彼らの毒舌に微動だにできないのか。彼らが反論できない論理と話術を持っているためだ。最初は作家の先生が台本を書いてくださるままにしたが、ともかく理路整然と話そうとした。そのためには言葉がはっきりしなければだめだし、一言一言きっちり耳に刻まれるようにしなければならないと考えた。まるで声優が話すように発音が明確でなければならないというプレッシャーがあったし、話すスピードが速くなければならないと考えた。容赦なくたたみかけるようにしてこそ相手をノックダウンできる。そのたくさんのセリフを速くしゃべるためには集中力が他よりもさらに多く要求された。セリフを覚えるストレスをものすごく受けたようだ。練習が完璧に出来ないとだめな話法だった。

実際にカンマエのような人は好きか?

悪くない。カンマエがこのような反響を引き起こすとは思わなかったが、カンマエ・リーダシップまで出てくるのを見ると指導者の資格は十分だと思う。もちろん優しく言うことはできるが少なくとも指導者ならそのようなカリスマがなければならないと思う。特にオーケストラを率いるなら、ということだ。70名を超える団員たちの中で誰か一人でもわき見をしたら不協和音が出やすい。

カンマエがつらくてかわいそうな人だと思って憐憫の情が湧くこともあった。カンマエを演じながら一番憐みを感じたのはどの部分か。

彼の周りに人がいないこと。孤独な人間だということ。

それを自らがよく知っている。自ら招いたことでもあるし。

そのようにするしかないのだ。彼は音楽を愛しているのだから。それが彼のプライドだから。音楽に対する情熱と音楽について解釈する能力はカンマエの右に出るものがいない。しかし、人に対する処世術がないのでひとつのオーケストラに長くいることができずずっと違うところに移って行くのだ。それでも人々が彼の実力を認めている。彼は派閥を重視する人ではない。実力があれば無条件で認める。そのような面で真の指導者像という言葉が出るのではないだろうかと思う。

カンマエシンドロームが起きたことは韓国にそのような指導者がいないからだ。韓国人たちがひときわぎすぎすして頑固な男性に熱狂するようだ。カンマエに熱狂することも少し際立っている感がないわけではない。

彼の姿がそれほど現実的に近づいてそのようになるのではないか。非現実的な人物を創りたくてしたが、それは古典時代からやってきた人を創りたいということで、彼の行動が非現実的ということではない。
彼が吐き出す毒舌と行動に共感したり、最小限胸のつかえが下りるように納得できるので良かったということではないか。
理解される人物を創ることが、私が演技する時最初に目標とするものだ。悪人だけの人はいない。殺人犯でも愛することができるし、理解できる面がある。外面だけ抜け目がなく、内側は誠実さのかけらもない人達は、演技していても決まり悪さを感じるようになる。韓国人たちには心の奥底にぎゅっと隠して押し殺してきた本能的心理が明らかにある。小学生から社会に出るまで常に競争するムードがあるので誰かを負かしてこそ自分が上がっていけるという生存本能があるということだ。内面にこびりついて離れないそのような本能をチャン・ジュニョクがうまく刺激したようだし、カンマエは今のように困難な時期にカンマエのような指導者が浮かび上がったので我々の夢を実現してくれると願って熱狂したのではないか。

(続く)

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