항아리 hangari はんあり

韓国俳優キム・ミョンミンに関するインタビューや記事の日本語翻訳ライブラリー
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육룡이 나르샤 ;六龍が飛び立つ

#六龍が飛ぶ 2話の歴史的背景 チョン・ドジョンの生涯Wikiより

長平門事件


しておいてよかった~♪
実際に長平門の前で歌を歌ったかは定かではありませんが
権門勢力(ドラマではイ・インギョムら)と新進士大夫(シンジンサデブ高麗の文人勢力) 
(ドラマではサデブと言ってます)の対立から
起きた事件としてドラマテックに描いたんですね。
すごいな。脚本家って。

だいたいこんな内容だったのかな・・・
元との修交に反対する鄭道傳をわざと元使者の迎賓担当に命じることで
鄭道傳が元使者を殺害しようとすれば、鄭道傳だけではなく、士大夫らも一気に
つぶすことができると考えたしたたかなイ・インギョム。
一方、三峰(サムボン)鄭道傳の計略を知ったチョン・モンジュはイ・インギョムの罠に気づき
彼の行為によって鄭道傳の命も危うくなり士大夫がつぶされることを恐れ、
監禁されていた鄭道傳をそのままにしておく。
結局、イ・バンウォンに助けられた鄭道傳は、予定通り、迎接に向かい
元の使者の前に立つが、刀で襲いかかる。

ところが元の使者と思った男はキル・テミだった。イ・インギョムがあらかじめ仕組んだ罠。
武将のキル・テミにかなうはずもなく、その場で倒される鄭道傳
しかし、最後に笑ったのは鄭道傳だった。
刀と見せかけ、手にもっていたのは「大きな飴」
「私も元の使者をお迎えしようと飴を準備しました。ハッハッハ」

そして彼は、元と修交すれは明と大戦争になることは自明なのに
3悪人イ・インギョムは自分達の安全のために元と仲良くしようとしている。
元使者を殺害すると脅して追い返すことしか
戦争を止める手段はないのだと訴える・・・

そして彼の演説に呼応するように儒生たちが次々と声を上げ始めた。
「私は命をかけて戦争を食い止め高麗を守る!」


実際の歴史的背景は・・・・
鄭道傳の生涯Wiki翻訳から抜粋 ←こちらからも見れます

辛旽(シンドン)の死と成均館講学

1370年成均館を再建して、その年、師首はイセクが大司成になると、彼は師匠イセクと友人の推薦で成均館博士となった。成均館の博士でありながらポウン鄭夢周(チョン・モンジュ)ら教官と毎日のように明倫堂で性理学を授業、論じた。再び70年禮曹正郞 兼 成均太常博士となり銓選(官職選考制度)を管掌した。また、権門世族を警戒し、新しい人材を探していた侍中シンドン(僧侶)によって新進士類が重用され、彼もやはり要職に座っていた由縁で、シンドンの一派として追い込まれたりもした。彼は危険を冒してシンドンの死を哀悼した。 1371年太常博士に任命され、再び禮曹正郞になり太常博士を兼任した。

シンドンが排除された後もチョン・ドジョンは、起用されたが1374年(恭愍王24)ホンリュンなどに恭愍王が殺害され、親明派に属していたドジョンは、再び政治的危機を経験した。その後の政局は親元派と親明派が対決していた。この時、彼は成均館で性理学を講学しながら、一方では、鄭夢周などと一緒に明との外交関係を深めることを主張した。

以降、彼は恭愍王の腐敗と堕落を擁護したり、黙認する権門世族が王の目と耳を覆い隠すと批判を加えた。 1374年恭愍王がホンリュン等に暗殺されるや、彼が事実を明に告げることを主張したがイ・イニムなどの恨みを買った。

親元派、権門との葛藤
この時、彼は富と権力を独占した権門から田畑などの農地は、実際に農作業を建てる農民に与えられるべきだと主張して権門の怒りを買った。また、彼は寺院経済の膨張と乱れが政治、経済、社会の弊害が深刻すれば、仏教の排斥を主張した。

1375年(ウ王1年)成均司藝성균사예·・知製敎지제교になった。同年元朝使者が来たときに元の時代の使者を迎え入れる問題で朝廷では、新進士大夫신흥사대부と権臣たちの間で対立が起こった。イ・イニムとジユンなどは使者を迎え入れようと言ったのに対し、ドジョンをはじめとする新進士大夫はこれに反対した。しかしイ・イニムなどは、彼らの主張を退け、北元の使者を迎える準備をした。イ・イニムはチョン・ドジョンを迎接使として任命し送ろうとした。しかしチョン・ドジョンは、使者迎接を拒否した。
こうした中、北元使者を迎える迎接使として名指しされた人物はドジョンだった。チョン・ドジョンは、使者の首を刎ねるか、さもなければまとめて明に送り返してやる。」と意志を曲げなかった。イ・イニム・慶復興などが親元政策に戻そうとして元の使者が明を打つための合同作戦を考え、朝廷に働きかけると、チョン・ドジョンはこれに反対した。そしてドジョンはイ・イニム、軽復興などの権臣の怒りを買って羅州の属県である會津縣 居平部曲회진현 거평부곡に流刑された。
流刑地で彼は性理学に関連する書籍を研究し、同里青年子弟らに学問を教えた。

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