topimage

2017-10

정도전의 생애 チョン・ドジョンの生涯 (Wiki翻訳)③ - 2015.09.21 Mon

2950023516_259c144a_WE50444586_w666.jpg

ごいとは聞いていましたが、チョン・ドジョン!
まじですごいです。
1人でここまでやってしまうとは!
圧巻であります~!
李舜臣チャングンの時も思いましたけど
ミョンドジョン、じゃない、チョン・ドジョンがいなかったら
韓国はいったいどうなっていたんでしょうか・・・

歌まで作曲してるなんて!
どんな頭脳してたんだ~(@_@;)

易姓革命と朝鮮建国
朝鮮の建国(1392年)

6月チョン・ドジョンは初めて召喚されて政治の一線に出て、新しい王朝の創業のための整地作業を断行し、7月17日コンヤン王を瀋陽に引き出し李成桂を王様として推戴し新しい王朝朝鮮を建国した。朝鮮王朝が建国されると、チョン・ドジョンは、王命を受けて新しい王朝の政策方向を提示する17条の<便民事目>を作成し発表した。また、朝鮮建国に反対した政敵ら反対派を一掃した。朝鮮を建国するために一等功臣となったチョン・ドジョンは、門下侍郞贊成事 兼 判義興三軍府事などの軍国の要職を兼務することにより、権力を握って朝鮮の中核勢力となって行政、軍事、外交、教育に至るまで朝鮮の全体的な文物制度と政策のほとんどを直接整備していった。朝鮮の最初の王として太祖に即位した李成桂は国事をすべてチョン・ドジョンに任せた。そしてチョン・ドジョンは、名実共に朝鮮の第2人者となり、建国事業に大きく貢献し、新しい国の文物制度と国策の大部分を決定した。つまり漢陽遷都当時の宮廷と宗廟の位置と都城の基地を定め、各宮殿と宮門の称号、都城の4大門と4小門と城内52坊の名前などを制定した。

国政法案の策定と兵権掌握以降太祖の敎旨を作り、新しい王朝の国政方向を提示し、国功臣1等として大匡輔國崇祿大夫、門下侍郎贊成事 兼 判義興三軍府事として同判都評議使司事、判戶曹事、兼 判尙瑞司事、寶文閣大學士、知經筵藝文春秋館事 兼 義興親軍衛節制使を兼職して政権と兵軍をすべて掌握した

7月20日都評議使司使 兼 尙瑞司事になる。 7月28日佐命功臣に登録され門下時と門下侍郞贊成事義興親軍衛節制使に任命された後、奉化君に君の号を与えられる。

新しい王朝を開いた太祖・李成桂は即位した一か月後に首都を移す決心をした。最初は国の名前も改めず首都もそのまま開京にするつもりだったが何かを悟ったのか遷都を決め、候補地を選び始めた。一番最初に候補地に挙げたのは鶏龍山(ケリョンサン)だった。李成桂はすぐに宮殿の場所を作り始めた。しかし、鶏龍山遷都を反対する上訴が上がってきた。 「あまりにも狭くて、民が入って生活しづらく、土地が肥沃せず、交通が不便で金剛が遠く民が苦労する」という理由だった。鶏龍山の反対上訴が上がってチョン・ドジョンらも鶏龍山への遷都を反対し太祖は新しい吉地を選定することにした。

1392年10月明に派遣される謝恩使 兼 計稟使として明に行き朝鮮建国の正当性を訴えて承認を受けてきた。 12月には門下侍郞贊成事になった。

1393年(太祖2年)7月の門下侍郞贊成事として東北面都安撫使となり辺境に出征して女真族を討伐、懐柔して戻ってきた、漢城に戻ってきた後、<文德曲>・<夢金尺>・<受寶>などの樂詞3編を作り、王に創業の困難さと守成の難しさを反省する時に使われる材料として使うように勧告した。 1393年9月判三司事となる。 10月慣習都監判事を経て、1394年(太祖3年)1月判義興三軍府事として兵軍を掌握して兵制改革の上訴を上げ、3月の慶尙全羅楊廣三都都摠制使になり、地方の兵軍まで掌握した。

システムと官制の整備

チョン・ドジョンは朝鮮が備えるべき政府の形態と租税制度はもちろん、法律制度の基礎を作った、仏教を排斥して儒教を国の統治理念として確立させた。また、チョン・ドジョンは首都遷都を決定し、首都移転を断行した。

朝鮮の建国直後から、彼は 「朝鮮経国典」を編纂して、新しい法制度の枠組みを磨きながら、都を移し、新しい王朝の姿を高めることを計画しつつ、經濟文鑑を執筆して宰相、臺諫(テガン)、守令、武官の職責を確立した。また、明の貢物要求が強まると、揺動征伐を計画し、軍糧米を確保、陳法、訓練、私兵廃止などを積極的に主張、推進して兵権集中運動を広げていく。

また、奴隷(ノビ)解放にも多くの努力を傾け、兵制を大幅に改革して陳法・陳圖を作成し将兵を訓練して、1397年(太祖6)に東北面都宣撫巡察使となり、現在の慶源:咸鏡北道地方に行って城堡を修理し、州・郡と宿場を確定した。

チョン・ドジョンは、高麗末 排佛論の火付け役として仏教に替わる思想として儒教性理学を指定した。彼は儒教として文敎を統一しようとし朱子学で迷信と思われる[仏教]と老子敎、シャーマニズムなどを圧倒しようと躊躇せず攻撃を加えた。仏教の慈悲は表の親しさと裏の内面があることによって差があり、仏教は人類の自然の性情に違反して、社会組織を破壊するものであり、釈迦が人世を離脱して、自立自営しようとしなかったことは、他力に従って寄生しようとしたもので、特に禅宗のようなものは人心を眩惑する魔宗、とまで批判したが、誰もそれに対応する仏教人がなかった儒学の大家であった。また、彼は儒教を伝播しようと朝鮮王朝の制度と禮樂の基本構造を作成した <朝鮮経国典>・府兵制の弊害を論じた<歷代府兵侍衛之制>の編纂を開始した。

1392年8月から、彼は新しい都建設の必要性を力説したが、これは高麗の旧臣と世族が潜んでいる開京(ケギョン)は新王朝定着に悪影響を及ぼすということが彼の見解であった。 1394年8月から開京を離れ新しい都建設を推進して、漢陽(ハニャン)を新しい王朝の都として定めた。

漢陽を朝鮮の新しい首都として決定したのはもちろん、漢陽の都市設計にも重要な役割を果した。景福宮の位置もチョン・ドジョンが決めたのだという。無学大師は今の仁王山を主山に宮殿を立てなければならないとしたが、チョン・ドジョンは反対した。彼は無学大師が推薦した場所は、東向きであり、敷地が狭すぎて王道として適当でないと主張した。結局チョン・ドジョンの意のままに景福宮は、現在の位置に立てられるようになった。漢城府の各宮廷と殿閣(王様の住居)、門の名前を付け道路、水道の行政分割も決定した。 1394年漢陽遷都の地図と監督を並行しながら、新しい社会にふさわしい思想として儒教性理学を正式な国の宗教として採用すること主張し、その年に<心氣理篇>を建て、仏教・老子教を批判し儒教が実践徳目を中心とする人本主義思想だと主張した。

太祖の許の下、宗廟と司査、宮廷の敷地などが立てられる場所を決めただけでなく、様々な宮廷と各殿閣の名前はすべてチョン・ドジョンが自ら名付けた。彼は殿閣と通りの名前を付けるとき儒教的徳目が現れるように、<勤政>、<仁政>などの言葉を使用した。また、漢城の4大門と4小門の最初の名前と現版(印刷版)を作ったりもした。そのほかにも、宗廟(朝鮮・韓国の歴代の国王・王妃・功臣などを祭っている所)の祭礼法と、音楽もチョン・ドジョンが制定したものであった。特に<モングムチョク>(夢金尺)、<スボロク>(受寶籙)、<ムンドクゴク>(文德曲)など、数多くの楽章を作曲し太祖の功徳を称賛したが、この楽章は、朝鮮王朝5百年間宮廷で演奏された。


朝鮮建国(1392年以降の政権闘争)
世子冊封問題

世子を誰に任命するか問題になる当初の議論は、「時が太平の世であれば、長男を立て、乱世であれば功の多い王子を立てなければならない。」という原則を提示した。しかし、神徳王妃 カン氏は、自分の息子を皇太子に冊封することを切に願い、太祖・李成桂もやはりパンソグを寵愛していたので、ペ・グンリョムはじめとする大小の臣僚たちは、太祖の考えに従い8番目の息子パンソグを世子に決定した。太祖の前妻、神懿王后韓氏の子で5番目のイ・バンウォンは政治的野心が最も大きかったため、このことに激怒した。また、他の前妻の王子たちも、自分たちを排除して、後妻である神徳王后康氏の末っ子パンソグが皇太子になったことに、皆憤慨した。これが後に「第1次王子の乱」の原因となった。太祖がパンソグを世子にしようとするとチョン・ドジョンはすぐに世子侍講院貳師の一人となって皇太子の教育を担当した。

冊封とは:中国の周辺国の王が、中国皇帝に貢物を捧げて、皇帝の名の下にその国の王様であるとお墨付きを貰う事。


つづく・・・・

● COMMENT ●

SAMTAさん 連日の記事ありがとうございま~す。
はんあり 色々想像しながら楽しく読ませてもらっています。

チョン・ドジョンの生涯 翻訳感謝です。
これからもよろしくお願い致します。 

ムスカリさん

読んでいただきありがとうございます!
かなり読みづらい文ですみません~(^^ゞ

今残りの2つもアップ完了しましたので
お時間のある時にでもどうぞ~♪


管理者にだけ表示を許可する

정도전의 생애 チョン・ドジョンの生涯 (Wiki翻訳)④ «  | BLOG TOP |  » #六龍が飛ぶ チャン科長は転生してチョン・ドジョンになりパク医局長は僧侶になった^^;;

어서 오세요

V,I,P, 2017 8月24日大公開!

キム・ミョンミンさんへのファンレター宛先

☆ファンレターはこちらへ☆

KMM with Heart200

(우)135-889 서울특별시 강남구
도산대로17길 19
(신사동 543-11) 온암빌딩 302호
MM ENTERTAINMENT 김명민님
ソウル市江南区島山大路17通19
(新沙洞543-11)温岩ビル302号
MMエンターテインメント
キム・ミョンミン様

プロフィール

SAMTA

Author:SAMTA
横浜在住
韓国ドラマ・映画好き
韓国俳優キム・ミョンミンさんの
カンマエに嵌ったのが2009年5月。
それからミョンミン道一筋です☆
韓国語、韓国料理など韓国文化全般に
興味があります。☆

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新記事

最新コメント

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリ

はじめてのご挨拶 (1)
김명민 キム・ミョンミン (277)
インタビュー翻訳 (5)
朝鮮名探偵3 (7)
물괴 物の怪 (3)
V.I.P (60)
하루;一日 A Day (41)
특별수사: 사형수의 편지;特別捜査:死刑囚の手紙 (72)
판도라;パンドラ (29)
조선명탐정2;朝鮮名探偵~消えた日雇いの娘~ (58)
히말라야ヒマラヤ (10)
간첩 カンチョップ(スパイ) (53)
연가시:ヨンガシ (86)
페이스메이커:ペースメーカー (116)
명탐정;朝鮮名探偵トリカブトの秘密 (84)
파괴사破壊された男 (77)
내사곁 私の愛 私のそばに (37)
소름 鳥肌 (6)
육룡이 나르샤 ;六龍が飛び立つ (337)
六龍が飛ぶ 人物紹介 (4)
六龍が飛ぶ 単語復習 (10)
六龍が飛ぶ あらすじ (44)
六龍が飛ぶ 鄭道傳の生涯wiki翻訳 (5)
개과천선:改過遷善 (184)
드라마의 제왕; ドラマの帝王 (172)
「ドラマの帝王」日本語字幕を楽しむ (18)
베바 ベートーベン・ウィルス (37)
거탑白い巨塔 (11)
불량가족不良家族 (13)
불멸不滅の李舜臣 (61)
꽃보다花よりも美しく (4)
ファンミ☆モイム (61)
「赤い糸伝説」청실 홍실 (51)
韓国料理☆한국 음식 (4)
韓国をたどる旅 (49)
韓国語 (14)
韓国映画・ドラマ (33)
ウリケースケ (6)
日常 (40)
その他 (62)
未分類 (0)
コツコツ翻訳 (29)

アーカイブでクラウド

もうひとつのつぶやき

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

FC2カウンター