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韓国俳優キム・ミョンミンに関するインタビューや記事の日本語翻訳ライブラリー
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파괴사破壊された男

MOVIE WEEK翻訳 「自分との戦い」




「自分との戦い」って何ですか?

カフェ10周年ファンミでの質問です。
キム・ミョンミンさんの演技における自分との戦いっていったいどんなものなのか、
韓国ペンたちも気になるんですね。

で、ミョンミンさん。
「皆さんも一度は自分との戦いに勝ったことがあると思いますよ」
と言って話始めようとしたら、
ファンたち一斉に
「とっくの昔に負けた!」
ミョンミンさん思わず絶句してましたけど^^

う~ん、振り返ってみると私も自分との戦いに勝ったことって
あるかなあ。
6か月くらい(うそ、3カ月くらい・・・)お菓子断ちした時とか・・・・

だいだい人に厳しく自分に甘くの人間なので(^^ゞ
わが身を振り返れば振り返るほど、
ミョンたんに合わせる顔がないです・・・

ま、それはそれとして^^;
MOVIE WEEKのインタビュー。
これで「破壊された男」の主だった雑誌の翻訳は完了です。


MOVIE WEEK No.433

創造的破壊のフェイスオフ

キム・ミョンミンは完全に破壊された状態だった。
私たちが知っていたキム・ョンミンはこれ以上
存在していなかった。作品ごとに間違いなく自分を消して
新しい自我を創造するキム・ミョンミンは
<破壊された男>で“創造的破壊”が何なのか
全身で証明しきった。



<私の愛 私のそばに>の時よりも太ったようだ。
今日、インタビューが9回目だ。ご飯を食べなければだめだ。(笑)ここに来る前にも簡単に食べてきた(笑)。

現場で冗談のようにお菓子がなかったら演技ができないほどだと言ったのだが、お菓子をたくさん食べてそうなのでは(太ったのでは)ないか?
<私の愛 私のそばに>の時(食べたくても食べれす)心残りがある。(笑)
でもお菓子がないから演技ができないほどではない。現場で食べるお菓子は最高だ。

声が少し枯れているようだ。説教のシーンの影響か?
(劇の中でキム・ミョンミンは牧師として登場する)そういうことではないんだけど。時々声が枯れる時がある。

<白い巨塔>(MBC2007)のイ・ギウォン作家がキム・ミョンミンさんの声は信頼感を与える魅力があると言ったことがある。
(急に咳払いをして声の調子を整えて)以前からそのような話を多く聞く。(笑)

<破壊された男>のシナリオを読んでどんな印象を持ったか?
台本を読んでみて一人のさびしい男が見えた。外側は誘拐映画を標榜しているが実際男の起伏のある人生を扱うドラマでもある。娘を失う前と娘を失った後の一人の男の人生が極端に異なる状況に焦点を当てて読んだ。初めは医大生だったが、牧師になった男が娘を失って事業家になるが失敗する。そうして8年後に娘が生きているという事実を知り、彼のずべてを自責しながら痛恨の思いにかられる彼の悲しい運命に強い印象を受けた。

ひとつの作品で一人のキャラクターを演じるのは楽ではないが、今回は医大生から牧師になり、また堕落した事業家に変貌する。キャラクターの変化に重点を置いたところはあるか?
どっちみちチュ・ヨンスという人物は牧師である時も事業家である時も同じ一人の人間だ。でも同じ人間でもその中から現れる感情は本当に無尽蔵だ。実際人間の感情の幅はすごく広くて深いが、私たちはその感情をすべて感じることができずに生きている。そのような感情をたくさん隠し、抑制するのが人間なんだけど、それでも状況が変われば突然自分も分からずに新しい感情を露わすことがある。チュ・ヨンスも同じだ。環境が変わるので彼の人生も極端に変化するのだ。

状況によってはある程度変わることができるという話か?
そうだ。人間は弱い存在だと思う。ある状況に適応する限界を感じながら、ある程度は変わることができると思う。

説教する姿が本当に自然だった。もともとすごい練習の虫だと知られているが、今回も練習の結果なのか?
練習も練習だが、母胎信仰なので子供の頃から見てきたのが牧師様の説教する姿だった。はじめてシナリオを読む時からこんな風に説教しようという感じを掴んでいた。生まれつきなんだよ(笑)。

この映画は見方によってはハッピイエンドでもある。普通このようなジャンルではあまり持っていかない結末なのだが。
観客たちがそれを反転だと思わなければいいと思う。実際スリラー映画を見れば大部分エンディングが良くないのだが、この作品は少し差別性を与えた。痛快なハッピーエンディング。いいんじゃない?

ネットカフェで犯人を追跡する場面を撮るために実際に3日間徹夜したと聞いた。メイクでも処理できるはずだが、そのようにまで“苦労”を強行する理由があるか?
本当に辛いのが何かと言えば、観客たちに嘘を言ってばれる時が本当に辛い。劇の中の人物が3日間徹夜したのだが、俳優がぐっすり寝て出て来て演技するのは本当ではなく、そのようなフリをするにせものだ。そうなら観客たちも、俳優が嘘をついていると知って結局はバレてしまう。私は道徳的な範囲から大きく外れないで、その範囲に違反しないある劇の中の人物と最大限接近し、その人物が感じるもとまったく同じように感じてみたい。そうしてこそ真実を見せることができる。さらにスクリーンという空間を通して感情を伝えようとしたら俳優が本当に真実の心を持って語ってこそ、観客たちに感情を伝えることができると思う。

それでは、今回の映画で娘を失った父親の心情に対してはどのように接近したのか?
実際、怒りが一番楽に表現できる言葉であるはずなんだが、怒り以外にも多様な感情がある。娘を失った喪失感から娘に対する愛、8年間娘を放置したという事実に対する罪悪感のような感情を思うと鳥肌が立つよ。とりあえずこの状況に自ら飛びこんでみた。

そうすると劇中のキャラクターの感情に没頭するための本人だけのノウハウのようなものはあるか?
キャラクターの感情に没頭する時、メイク担当の方たちにも丁寧にお願いする。顔がちょっと汚らしく見えてもいいので、私の顔をあまりいじらないでくれと。
なぜそこまでするのかということだが、それは本当に感情を壊すことだ。演技をする時私の中に感情の空気を吹き込む風船があるとしたら、その風が漏れて出て行くのが嫌だ。特にデリケートな場面を撮影するのを中断して食事をする時がもっとも辛い。だから最初から食事をしない。敏感さを極度に追いかけなければならない状況で食事を取るというのは最悪だ。それは墓穴を掘ることだ。だからなおさら、一人で孤独な戦いをするようだ。

今まで演技してきた映画の中の人物を見ると重たくて生真面目だ。ソフトなジャンルや、違うキャラクターに対する欲求もあると思うのだが。
もちろんそうだ。実際に生きることができない人物を生きるということは面白くない。身を削るような苦痛の中から創造が生まれると思う。創造は簡単ではない。美術家であろうが、音楽家であろうが何かを創造するためには自ら身を削るほどの苦労が必要だ。俳優も同じだ。以前やったキャラクターをすることは、何も努力しないでやるのと同じだ。だからいつもキャラクターは(こうだと決めつけずに)オープンにしている。

やはり“ミョンミン座”という修飾語がふさわしい。キム・ミョンミンにとって演技をするというのはどういう意味なのか?
キラ星のような先輩方も多いのに、そのように呼ばれるのは恥ずかしいばかりだ。私が今まで演じたキャラクターはフィクションの中にいる人物でもあるが、実際に今どこかで生きていたり、過去に生きていた人物かも知れないと思う。“カンマエ”もそうだし、“チャン・ジュニョク”もそうだ。仮に今私と同時代に生きてはいないが、一人の人間の成長期から彼の人生を想像しつつ、完全に違う人になる過程が演技の本当の魅力だと思う。その人をその人らしく創造すること。それが演技の真の魅力だ。

MovieWeek8.jpg

キム・ミョンミンは戦いを楽しむ。相手は自分だ。
彼は自分と戦いながら、快感を味わう。
自ら変化にどれだけ適応して、変化に伴う苦痛を
どのように耐え抜いたのか厳しく点数をつけ、
その過程を尊重する。これが俳優キム・ミョンミンの
生存法則だ


終わりからのまた違う始まり。
ドラマ<お熱いのがお好き>(MBC2000)は演技者キム・ミョンミンのスタート地点だ。
彼はこの作品を通じて新人賞を受賞し、注目を集め、ドラマ出演が重なるほど俳優としての領域を広げていった。特に映画に進出する基盤を準備しながら俳優としての存在感を知らしめた。“ドラマ<お熱いのがお好き>で注目を受けて、映画<鳥肌>を撮った。その時映画を撮った後本当にたくさんシナリオを貰った。でもこの映画以降に出た3つの映画がダメになって、本当に辛い時期を送った。
“僕は演技をしちゃだめなんだなあ”と心に決めたのもその時だった。
そして彼は移民を決心する。車も、家も売れるものはことごとく売って新しい世界に飛び立とうとした。この時彼が決心を崩さなかったら、ひょっとすると私たちは“キム・ミョンミンのカンマエ”を見れなかったかもしれなかった。しかしどんなに困難な状況でもそれを切り抜ける道はあるもの。彼に意外なチャンスが巡ってくる。まさに<不滅の李舜臣>(KBS1,2004)で“李舜臣”役のオファーが入ってきたのだ。“最後のチャンス”だと思った彼は
ドラマ出演を決心し、この作品で彼は“神がかり”な演技で一躍スターダムにのし上がった。終わりに出会ったまた新たな始まりだった。“振り返ってみると、映画がダメになってそのように辛かったこともすべて自分のせいだった。誰かのせいでもなかった。本当に問題は僕の中にあったのだ。自らしょっちゅう罵りながら否定的な考えを雪だるまのように大きくしたことが問題だった。それでもその時の経験で自分を鍛錬する術を学んだ。”今は他の追随を許さない演技派俳優になったが、無名時代は明らかに彼に演技者の道を諦めさせるほど残酷だった。しかし彼は“いつかはできる”と信じ辛い時期を耐え抜いた。

私は過程を重視する。
“条件はない。無条件だ。”<白い巨塔>のチャン・ジュニョクがそうであったように、キム・ミョンミンもやはりチャン・ジュニョクのような哲学を持った。どんなことであっても無条件にできるという、あるいはやらなければならないという信念で生きている。
“生きていて悪いことであれ良いことであれどんな方法であれ役にたつようだ。良くないことを経験した時、苦しみを耐えて立ち上がる過程を通し、揺るぎないたくましさを学べる。他の人が生きていて経験したことがないことを経験するのは後で(自分を)大きな器にする土壌になる。”キム・ミョンミンは自らの哲学を、演技を通して発散する。<私の愛 私のそばに>でルーゲリック病に罹った患者の苦しみを見せるために殺人的な減量を試みた点でも分かるところだ。彼はキャラクターに恐ろしく没頭する演技者だ。どんな人物であれシンクロ率99.99%に及ぶ完璧な一致を見せてくれる。
いや、ひょっとしたら自らを破壊しながら同時に新しく創造できるという魔法を操る人かもしれない。“僕は演技する時過程を重視する人だ。自分との戦いでどの程度勝ったか点数をつけて、その過程を高く評価するタイプだ。結果よりは過程を重視するように考える。”キム・ミョンミンという俳優の次の顔が気になる理由だ。


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